SSブログ

身辺調査しても。 盗聴・盗撮 罪を犯しても。  [日記]

人の人生は。


その 代々と築き上げた 物事は。


どんなに 調べても 人の人生の道 代々と築き上げた道のりは 全てが 見える 理解できる事はない。


私の親族の事を書きましたが。


主人の方では 私は おばあ様が 生きて 入院して要るので 私達の 子供と お見舞いに 行こう。って 言うと 主人は もう 亡くなっていると 言うです。 それ 以上は 何も 言わずでした。

ある時 おばあ様が 亡くなってと言う 連絡が在り 主人の 驚きは。

この時 義理の母・姑は 母親を 病院へ 迎えに 行かず それは その他の 子供達もです。

義理の父・舅が 迎えに行き また その 葬儀は 私と私の父と主人の会社の方で お見送りの 儀を 執り行いました。


また 主人の叔母様が 亡くなり 始めて 叔母様は シングルマザーだったと 知る。

もちろん お子様もです。 忘れ形見。

今は お父様の方の方へ お子様もだったのか 後を 繋ぎ そこに 義理の弟様も 一緒に 支えてお家を 守っているそうです。

この時 主人も大学卒 まじかに この お父様に ホテルに 呼ばれて でも 違うホテルに 行き 会えずだったそうです。

その時 会えば 主人も 一緒に だったかも 知れない。 でも そうなって 要れば 私との結婚・ご縁もなかった事でしょう。


みなみなは ご縁を つくると 言う わざというか 詐欺行為です。


でも ご縁とは 結ぼう 繋ぎと 思うて 策略・陰謀して ご縁が 繋げるものでもなく。


また 私事ですが ある時 大阪に アメリカ村って あったんです。 出来の悪いおばと 買い物に その時中学時代の同級生に 会ったり。

また 結婚もと言う時 故郷では 騒動が 治まらずに 主人が こちらへ 帰るのに 岡山まで 送りにゆき その騒動に心身が 疲れて いた事も 在り 岡山の駅で 泣いていた時 大学の同級生に 会いました。

大学の同級生とは 二度と会う事もないだろう。 まだ 当時は 瀬戸大橋も できてなく 連絡船と汽車で 瀬戸の海を 同級生と 渡り 結婚する事だけ 告げて 別れました。

ご縁とは そのように 不思議な出来事。

その後 年賀状が 行ったり 着たり でも そのうち 無くなり 今では この事で 全ての 名簿から 私の名前・存在を消したので 今は ご縁は  やっぱり 儚く。

年賀状・卒業後も 名簿から 名前が 消えぬように。 そのような 名簿から 存在を消すような 抱き心を持つような 心ない事が 在りませんように 何か あっても 寄り添うて お互い様の 心を。


何かの ご縁で。


でも みなみなは 今回 私達の 引っ越す事も 計画・策略・陰謀して また 意地悪行為を はじめました。

そこには 何も ない。

もともと 私は この引っ越す事で 残る 子供との 暮らしを おだやかに。 その数年さえ 壊す。非道さ。

そこには 未来に繋げる ご縁の糸は 何も ないのです。

憎しみだけ。


心とは 視えないもの。 ご縁とは その心と心で 繋がる。 


以前も もっと詳しく 書いたよねっ。


また 私は 幼き頃 ちちとははが 喧嘩を していて 親族の方を 呼んで 仲裁を 願い事も在ります。

みなみなは 仲裁は 警察へ。 なんでも 緊急電話・緊急車両を 呼ぶ。 そこには 自分には 仲裁能力が 在りません。

絆とは このように 守る 人・人達が 居て その方・方々の人生も 守りつつ 絆が 続いて ゆくものです。 繫栄されて。

子姑が 居ては 嫁も来ずと 厄介者 扱いをして 気づいた時は 今まで 築き 代々 守ってきた 絆も ぼろぼろ。

また 私が 断る ご縁を 拾う また 私に断る事を されても まだ 私の家族・親族に こだわる。 ストーカー行為・迷惑行為と 同じでは 在りませんか。

そのような 事を する 心を抱く持つので 自分の家庭も ぼろぼろ。

何が 在ったのか 知らぬが まだ 私が 嫁ぐ前に 留守番に。 帰って 来ると 叔父様が 家の外で 何かを 顔を洗って 家に 入り それでも 涙が。 そのように 嫁ぐ後も 嫁のそれも 父親に 涙を。有り得ない。

そのような やつも 悪霊退散を 願いたいものです。




   完。





共通テーマ:資格・学び