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ご縁とは。人質。そして 機会損失。 [日記]

ごえん・ふうふって 所詮は 他人です。

親子でも わが子を おやという 立場で 子を 利用する。


お互い様の 心を育んで。

兄弟姉妹とて 平等に育ちは 個性は それぞれです。


親子喧嘩をしていても 男尊女卑で そだてると おとうとは 自分がいたので ははのけんかも このていどでと いばる。

弟や妹は 姉のおやの 態度を視て 要領善く 欲 生きる道を 身に付けていたり。

それは 他者でも 同じです。 保育園に託して 育てた お子様と 幼稚園から 社会で 集団生活をでは 育まれてる 心が相違してるものです。


また ははのじっかは お家を購入する時に 私のちちに お家の購入の頭金を お願いの 連絡があったそうです。ちちは ははのおやの面倒もみず 介護もせず お家の頭金を お願いの連絡が在り 頭金の願いを聴いたそうです。 それは 私達 夫婦が マンションを購入時に ちちが 頭金を だした時 ははの 怒りがあり ちちがそのような 話しを 話して くれました。

ふうふでも 自分の実家に  助けて 居ても 忘れているのか 娘に マンション購入時には ははの機嫌が悪くなりました。


また 義理の弟夫婦が実家にお願いに 行った時は 私のいもうとが 実家には お金は もう ありません。と電話で 怒りも在り。

義理の弟様は ははおやに いつも 自分ばかり 呼ばれ 兄夫婦は 何もせず。と 義理のははの言葉もあり。この言葉も在るので 亡くなり時 また 喪主で 騒動になってはと 思うのも在り 帰省せずでした。

また 冠婚葬祭で まとめて 万事 滞りなく 行える事は その人達の 周りに 居る 人柄だったり 器量だったりです。 でも あまり ほとんど 見聞きした事は 在りません。人生に 置いて 人を視る事のできる。人を育てる事のできる。

このように いちいち 説明を行うようでは いかがでしょうか。

息子夫婦のお祝いの時も まだ 親・師・仲間ならば として そのような 人を育てる事が できる事が 出来たのに 残念ながら。 まだまだかと 感じました。 私とは 考え方の相違です。


会社の海外勤務でも 今は 知らないけど 嫁と子供は 会社の人質かと 思う 会社の対応に 私達は 主人だけ海外出張を受ける事にしました。それでも 義理の母・姑の心の揺れる様子には 困惑したものです。義理の母・姑の姿は 親の心です。それを 表現されただけの事。

また 義理の母・姑が入院した時 お見舞いに帰省すれば 不安も在り 帰らないで。と言う一言を 私のちちが聞き情けないと言う。本心を出しても 批判される 本心を言わずと 探る・偵察をする。また ちちも自分はむすこと住まい近くに息子が要る立場で在り 義理の母・姑 本心に批判を言うへる立場でもなく。

私からすると どっちもどっち。 これの仲に立ち 上手く 物事を運ぶ 方・方々の方が 困惑。これが 縁が遠くになり 今が在る。

また 日々 毎日 顔を視る 会うと 時々では 双方の老いを感じ 不安になるものです。高齢化社会に。

一緒に住めば それはそれで 騒動ばかり 離れて 住めば 親子の気持ちも 離れてゆくと 言われたそうです。 

サラリーマンの親子は離れ離れには 仕方ないそうです。ちちの説です。

この地に引越して もう何年過ぎた事でしょう。ご自身の年齢も 考え また 見えない 人の老いも考えれる器量を 育まれて いれば 今と言う時は 刻んでは なかったでしょう。

主人も緊急にならず 主人が緊急入院しなければ 私も インフルエンザに成らずに 健康が崩れる事もなく。

長々と 終わりなく 人様・他者の 暮らしを壊した 末に このように 成った。過ぎた時・時間は取り戻す事はできないでしょう。また 壊した人の心・信頼・信用が 以前の形に戻る事はない。


以前 これも 詳しく 書いてますので そちらで お調べ 頂きたく。


脅しを かけた。 そのような 発言をした。 思われるような 会話をした。



世・社会は お互い様の 心を逸脱した 心は 見え隠れするものです。

それは 言葉にしぐさにて 表現される。


私達の息子を 遠くはなしたのは  このような 餌食に ならぬようにも在るのですが 何か 疑う点が 難点か在ります。 みなみなちゃんが 親子を切り離し 切り裂いたのですよ。己の器量のなさ 心のなさを 反省しても 取り戻す事は できない。 


また どんなに 無礼なおやでも 子にとっては おやなのです。 愚痴であれ 子には 心が不安 苛立ちに思うものです。 それは 夫婦でも 相手のおや・しんぞくの 誹謗中傷・批判を言うのは 控え目に・ほどほどに。 でも これも 度を越して。

息子には 私の批判を言う クラスメイトもいたそうです。そのおやが子育てを間違ったのです。

また 息子の成長の様子に 高校の担任が 驚いたように なぜと 言うたそうですが 自分の教え子の未来も推し量る事もできない担任だった。

それを 私にさんざんと 書くように いじわる行為を 行う。 それは 二度と ご縁は 無い。 無縁です。私の人生において 通りすがりのひと。 


また 誰でも 本当に怒ると 言葉も 日頃の 言葉とは 変わるものです。



話しはですが 日本の国土は 北から南と 長く 色も植物も 好む色 忌み嫌う色・ 植物・食べ物と 在るものです。 そのような事で 騒動になるようでは 社会生活が 成り立つ事は 困難です。そのような事で いちいち 話題にする事もないのでは。 そのような 心の狭い 器量もないと 言われたようで 悲しく 幾たびも在ると 人間関係に うんざり。


今 行いの悪さが ご縁が切れた。 人付き合いが 遠く成った。 

今は 過去の行いが 今と言う時を 刻んでいます。

また 思い立ったが吉日です。 でも 今は それも 動きも取れず ますます ご縁が 遠のく・ 遠くへ。

人生とは 明日の事は 誰も解らない。

時は金なりと申します。でも 機会・チャンス・好機の損失は 後から 取り戻す事はできません。

その機会・チャンス・好機を このような 誹謗中傷・批判に 時を刻み 騒動に時を刻み それを機会損失と言う。 また 次も合いたい 会いたいと 思う 人の心を削り 出会いを 失った事は これほど 人生に置いて 潰された事はないであろう。人財は財産です。感染対策より 経済を取った 人の一人の命の重さより 感染対策の研究・開発より 経済を取った 所以です。 命は自己責任・個人責任と言うことです。

いじわる行為・いじめが あれど 隠蔽工作をした なんと ひとの愚かさに そのようなところの行方は衰退。いじめ・いじわる行為を 正当化するような。 でも 自滅です。 

潰すとは 殺すと同じです。私を殺すも潰すと言う言葉は同じです。事件になる恐れがある。それを 堂々と社会に世に野放しにしてるのです。また その野放しは 新たな いじめ・いじわる行為を行いましたが。


追記。

マスクの事ですが ウレタンマスクは病院では ウレタンマスクは だめです。と 書かれてた 病院もあるそうです。 











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