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桃栗三年柿八年・・・・・。誰でも叩けば埃が。戦争中・戦時下統制が在りまだ残る風習。 [日記]

桃栗三年柿八年・・・・ これはまだまだ 続く 続きがある。


柚子の大馬鹿十八年 梨の馬鹿目が十八年 枇杷は早くって十三年


梅の酸い酸十三年 梨はゆるゆる十五年 


みかんのまぬけは二十年


女房の不作は六十年  亭主の不作はこれまた一生



私達の親族や友を叩きましたが。

あの時の 真実が 明らかに

では その家族を 叩きますか 懲らしめると 言う流れになります。

また あれで 責任を取ったと思う事のないように。えっ また そこの学校か その職務か その習い事か。

嫌いな 都道府県と同じねっ。 ますます 私に関わる 関係者の立場が落ちた。た・め・い・き。

本来は あのこがではなく 他に音楽の道へ進むべき 身心ともに 豊かな ご家庭があったのでは在りませんか。音楽の道も落ちたものです。がっかり。

子育てを間違っているのでは在りませんか。心豊かに 育まれ それは 他者・人様を借りて 心が情操教育が育まれてゆくならば おやは 要らない。


一生 かかっても 大切な方が 亡くなりでも 葬儀にも また その流れで 息子の結婚式・披露宴にも 顔をださずです。 

では みなみなちゃんも 私と 同じ 歩むを 歩む。


子供を 平等に育てとは 統制と言う。そのような心 悪習がちらほら。そのようなこころが見え隠れする。

協調性・お互い様・ボランティア活動・ボランティア精神。

ボランティア活動は 多種多様な 多方面に在ります。

父母会 PTA活動 動物の事・・・・・

みなみなちゃんは 子供の事でも 父母会・PTA活動も 行う事もなくです。 みなみなちゃんは 私の前に近くに来る 私へ質疑応答を問える 立場ではないでしょう。


動物の事では 動物園でも いつからでしょうか 自然界に近く でも 私の見た海外はすでにその時 今の日本の動物園のようでした。

また 今は 犬は狂犬病の事も在り 昔ほど 自然下では みかける事が 在りませんが 猫はテレビでも岩合光昭さんの番組を拝見するように 世界には こんなに 猫が。と 思う。

私も 今 猫ちゃんを 以前も書きました 自然界の猫を 連絡先を役所に言うて 面倒を視ています。預かっています。 餌・ご飯の代金も それはそれはです。 また 以前 家猫が二匹飼いましたが その 飼うでも 猫にとって なにが 幸せなのか 考える事も在り。

このような事を 書く事も 憚れるのですが。ボランティア活動とは。

また このように 皆々様 自分に何か できる事が 在るのではと 貢献です。

私が 強く 言いたいのは 自分が できない 受けれない 就けない職務に 誹謗中傷・批判を 行うのは いかがでしょうか。


また 外で 世間で 働くとは 家族・親族に また 他人様にも 支えられて 居る 要るものです。

私達でも 在りましたが その時は まだ 犠牲の母・姑は 働き 私と息子が二人で 帰省しても 嫁ぎ先に行っても 今日は 用事が 在るので 私の実家へと 言われ そのように 段々と 遠慮の上に 遠慮 相手の都合ばかり 気に留めるようになり 帰省・帰郷しても このように 騒動に 遺憾に 今では 故郷に 足を向けてなくは 子の中学受験からです。 今は 何処が故郷なのかです。 故郷はない。

まだ 私が 働きではなくでもです。専業主婦であっても。

家族とは 子供が 大きいなれば 家族 親族の 数だけ 時計の数が 在ります。

私達が 帰省・帰郷する時 周り 自分・自分達に 故郷・ふるさともなく。とお聴きしてたのに。心配りしてても同じです。 離れ離れの距離は いくら 配慮してても 同じ道を 歩むものです。

その 一緒に暮らせる 時・時間も 穏やかにを 潰された。


追記。重要な事を。 警察と私は 犬猿の仲に。 過去での起った事は 正しく鳴る事はない。憎まれっ子世に憚る。

木を切れ 切らないと言うても。 で ローズマリー 今ところ 半分枯れた。

また あのころ日々 やっと 今年の みなみなちゃんへ ボランティア活動が 休みと 言う その後の 大騒ぎ。みなみなちゃんへのかつどう・ボランティアは 私が望んで 自分が活かせる みなみなちゃんでの強要・脅し。心身に鞭って。 段々と 下る 落ちるように 感じる。 メリハリのあるがない。これを潰すと言う。

警察も 警察ならば やつもやつ。 あのような かていはおやが 遊ばせて 避ける かていだわ。10年積み重ね 我慢も あっただろうが 大馬鹿もの。 腐るだけやなぁ。

マンションのローカーにカマキリがいると 大騒ぎ。 おやとして 同じだわねっ。いじめ・いじわる行為をおやがこどもにお手本として みせた。命の大切さを教えるべきおやが 命を粗末に。主人にどうしろと 逆切れのおやとおなじ。 いいわけでもいいますか おやの愛情が希薄でって。

緊急入院した。その病はと 言うが 容赦なく来る 警察官ときんりん。目は口程に物を言う。

なので 他のきんりんも 我が家に入る 草木は 私達の監視の下 我が家の土地の掃除をして頂きたく。警察に処置を願います。

明るみに出る事もですが おまえんちも 人生に関わる事もなく 同じクラスになることもなく 同じ学校に通学する家庭でもない。

注・おとこ おまえ うらぎるなよ。と お世話になる女性に言う。 それ 脅しやろ。

警察もそのようなので 市民・国民の命も 守る事が できないのです。

警察が 命の大切さ 防衛費用を 税金で まかなう 以前に もっと やるべき 使い道があるのでは在りませんか。

市民・国民 また 人間関係が 大切ならば 総合的に統計的に いつの季節 月に 緊急車両が 緊急外来が 命の危機になっているのが 知る 学ぶ事も 人付き合いの基本です。 思いやり。

主人もですが 息子も単身で 体調不良になり 主人の緊急と言い 社会人として 家庭人として その至らさ。また そのような 事も 知らんだったで 済ませて 人間関係 絆の 永遠も在りません。命の重さを もっと 学び 我が家へ 足を向けるように。



天は人の上に人を造らずです。 才能のある・なしは 主観的なものです。 客観的なものでは在りません。

あるかたが 才能がないというが ある方は隠れた才能を導き出した。その才能を壊すのがおやだったり 教える側に在る。 関わる人・人達に 才能を壊される。 私と我が家の間に在る 感情の心の壁 疑心暗鬼を植えて。は 長きに渡りなので この先も どうにも 成る事は在りません。 現状維持がやっと。 その現状維持も 回復の見込みは 在りません。 それが 心です。それが 命です。


飲水思源。を忘れ 当たり前になっている。二つの意味が在ります。落とし穴に落ちたのです。ストーカー行為でも在り。











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